2025年4月14日 (月)

小さな幸せ

今月で私が64歳、妻が61歳で、それぞれの誕生日に仕事場近くの食べ物屋に食事に行きました。

私の誕生日にくずはのKごのやに、それぞれすき焼き定食を。

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私は誕生日なので和牛肉を1.5倍盛りw

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妻の誕生日は仕事場近くのW楽心に昼の和食ランチ。

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まあ、そんなに贅沢ではないですが、最近幼なじみが亡くなったりを経験しているので、二人そろって食事に行ける、好きなものを食べれるというのは小さな幸せだと実感しています。
(妻がそう思ってるかどうかは知りません 笑)

あと何年、一緒に食べに行けるかな~?

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2025年4月 7日 (月)

大阪関西万博テストランと7年ぶりの背割り桜を見に行く

4月6日、大阪関西万博のテストランに行ってきました。

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4月13日の開幕本番前に実際に無料の招待客を入れて、システムや運営の問題点や改善点を把握するためのデモンストレーションでしょう。
私はフクイラプトル監修の関係で、福井県さんから招待いただき行ってきました。

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はっきり言って、今回の万博あまり期待していませんし、1970年の大阪万博を経験しているので、あんなスゴイものは二度と経験できないくらいに思っているので、今回のテストランもフクイラプトルを現地で確認するぐらいの気持ちで行きました。

工房のあるJR長尾駅から東西線の大阪天満宮駅で地下鉄に乗り換え、新駅「夢洲駅」まで1時間足らず距離です。

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夢洲駅構内はなかなかカッコよく、スターウォーズのデススターの内部のようでした。

私はテストランの3日目だったためか、ゲートは10分ほどでスムーズに入れました。

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まずは関西パビリオンの福井ゾーンにフクイラプトルのオブジェを見に行きます。

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こじんまりとしたパビリオンに関西・北陸のブースがあり、福井県の入り口にフクイラプトルを発見!

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ネームプレートに私の名前で記載されていることを確認し、一緒に記念写真を撮って今回のミッションは完了!

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あとはぶらぶら会場を見て回ります。

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しかし様々な異形のパビリオンや大屋根リングの木の組み合わさった巨大な建造物の間を歩いていると、9歳だった自分が大阪万博の広い会場をキョロキョロ見上げて歩いていたあの気持ちがどんどんよみがえってきました!
そして「ああ!これ万博や!」と唐突に思い胸が熱くなりました。

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とは言うものの全くパビリオンの勉強も予約もしていなかったので、中を見ることができたのパソナ館だけでしたが、ips細胞で作られた動く心臓?は見たかったので満足。

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あとは大屋根を歩いたり、ガンダムを見たり買い物をしたりしてただけですが、とにかく広いので5時間会場にいました。

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まあ、まだ始まってもいないので、どんな万博になるか分かりませんが、私にはあの子供のころの万博を思い出させてくれただけでも大収穫でした。

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しかし1日歩き回って、また足が痛くなりました。

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嫁さんの希望でミャクミャクのお土産。

さてあくる7日、足が痛いままですが、嫁さんと一緒に背割り堤の桜を見にいきました。

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スーパーで買った弁当を食べながらお花見。

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こちらに来るのは実に7年ぶりでした!月日が流れるのは早いね!

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帰りに近くの橋本元遊郭跡を見に行きました。

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いまは改装されて旅館になっています。

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きれいなステンドグラスがありました。

歩きすぎて足痛い・・・

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2025年4月 3日 (木)

近況備忘録

今年(2025年)も4分の1が過ぎました。
相変わらず自宅には戻れず工房で過ごしていますが、そんな状態からもう約1年経過しました。
全く新しい仕事がありませんので、好きな造形をちまちまやりながら、色々やらなあかんと思いつつほったらかしにしていたことを片付けています。

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まず、1階のエアコンの交換。この家を買ったときに付いていたエアコンなので、ざっと14年以上前のモノだと思いますが、まあ1階で過ごすこともあまりなかったし、それなりに動いていたのずっとほったらかしにしていましたが、今回交換することにしました。

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前の持ち主が、外のコンセントから電源を取っていたり、けったいな仕様だったので、新たにブレーカーを設置するなど、工事費がかさみましたが新品に。これで、夏も冬の来客の際は快適に過ごしてもらえます。総額18万円の出費。

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次は2階のブラインド2機の修理。羽の上げ下げが出来なくなって昼も暗いままでしたが、メーカーに修理を依頼しました。(33,000円)
ところが、依頼後ニトリで同じようなブラインドが10,000円程度で入手できることを知って愕然!!
多少取り付け作業が必要でしたが、3分の1の値段で新品に変えられたと思うともったないことをしました。
普段なら色んなところを回って相場も見るんですが、なんか歳のせいで怠ったのか、高い勉強代でした。
これは先のエアコンでも同じで、もう何軒も電気屋を回って安いところを探すほどのエネルギーが無くなりました(笑)

あとエアコンの室外機設置の場所を確保するのに、この家を買ったときからあった、南天の木を伐採。南天を伐採すると良くないとか迷信がありましたが、ごめんなさい南天さん。

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(2018年のグーグルビューより)

まああとはうるさい洗濯機を買い換えるか?ですが、今のところ様子見です。
先日は京都アンティークフェアに。欲しい春画根付が割とリーズナブルな値段であったのだが、ブラインドの修理代の出費が響き、一時は我慢しましたが、どうしても諦めきれす再度日曜日に買いに行きました。アホですねw

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まあ、仕事が無いということは収入が無いわけで、出費ばかりかさむと大変なことになります。
トランプが関税を引き上げ、日本の株価は下落、何もかも物価が値上がり、相対的に貯金も目減りし、この先どうなるんですかね?

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2025年3月23日 (日)

フクイラプトル IN 大阪関西万博

今年55年ぶりの大阪万博が開催されます。
55年前の1970年、私は9歳。何回か連れていってもらい、太陽の塔や色とりどり、形様々なパビリオンに圧倒されながらも、入りやすいパビリオンを1日中走り回ってスタンプを押しまくりました。
1970年の大阪万博はアポロ11号の人類初の月面着陸と並び私の幼少期の最大の思い出です。

さて、今回の万博、福井県の恐竜博物館の恐竜を作っていたご縁で、関西パビリオン内の福井県エリアに設置されるフクイサウルスの実物大オブジェの造形監修のお手伝いをさせていただきました。

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オブジェ制作は恐竜博物館の2023年リニューアル時に新館シンボルタワーの実物大の福井の恐竜オブジェを制作した大阪のケーイーラボさんです。
そのとき私が雛形模型を制作したフクイラプトルのデーターを元にポーズを変更して、今回のオブジェを新たに一から制作。

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データーから出力・切削した発泡スチロールの原型に粘土でディテールを作り、型取り、FRP成形、彩色という工程です。

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その間、恐竜博物館の服部先生とともに、粘土造形、彩色等に随時ネットで画像等で確認、実際に工場に数回訪れ実見して修正するなど監修作業をしました。

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先日無事会場に設置されたと伺い、実際私が作ったわけではありませんが、ホッとしました(笑)

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オブジェの銘板には、造形監修で私の名前も記載されているそうです。
半世紀の時を超え、微力ながらも「憧れの大阪万博」に足跡が残せたのは感無量です。
始まる前からいろいろ話題の大阪関西万博ですが、1970年の万博も始まる前は人気が無かったそうです。開けてみないと何が起こるか分かりません。
行かれたおりには、フクイラプトル(とVR映像など)もぜひご覧ください。

またこの場をお借りして、このようなご機会を与えていただきました、福井県 TOPPANのご担当者の皆様にお礼申し上げます。

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納品前のフクイラプトルの前で記念写真(私 服部先生 ケーイーラボ 紀野社長)

追伸

3月23日放送のニュース 

3月24日放送のニュース 

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2025年2月28日 (金)

海洋堂の館長 亡くなる

海洋堂の館長 宮脇修氏が2月16日に亡くなられた。96歳。大往生と言っても良いでしょう。お疲れ様でした。

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2月25日に通夜、26日に告別式がありお別れに行きました。

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私が海洋堂に原型師としてよく出入りしていたのは1983年~1980年代の終わりぐらいまでで、その後は勤めていた病院の仕事や他の会社などの模型の仕事もするようになり、ひんぱんに行くことはなくなりましたが、原型仕事が無くてもたまに遊びに行くようなの関係でした。
海洋堂に入り浸ってた私が22歳ぐらいから数年間は私の人生のなかでも特に濃い期間で、センムさんや同い年ぐらいの原型師との交流と共に、館長の存在は大きかった。

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なんて言うか、親でもない、親戚のおっちゃんでもない、仕事の上司でもない、唯一無二の「大人」みたいな。
出来た原型を持って行くと、時々「館長室」に呼ばれ、これからの模型の将来像や理想などを小一時間とうとうと話させるのを聞いていました。(聞かされた?w)
その後、私が飲んだことないような高い?お酒をご褒美にいただくこともありました。
館長室には川本喜八郎の人形や陶器製のシーラカンスの置物など高価なものが置いてあり、それを見るのも楽しみのひとつでした。

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告別式で息子の宮脇修一センムさんの挨拶で、「みなさんは父が主人公のいろんな物語や童話のなかの登場人物(意訳)」と話されていた。
おそらく私が知っている館長は数多ある館長像のひとつで、参列していたみなさんそれぞれぞ出会って巻き込まれた時の館長像があり、館長の物語の登場人物なんだろう。
私はどこかの物語の登場していましたか?館長?

でもね、海洋堂が大きくなったのはもちろん館長のカリスマ性や行動力あってのことだと思いますが、それを実現できたのは息子のセンムさんの存在無しでは成しえなかったと思います。
私らのようなわけの分からん社会不適合者の若者を束ねられたのは口の悪いが歳の近い人情味のあるセンムさんがいたからだと思いますよホント。

まあ、良くも悪くも私は外様だったので、海洋堂の良いところしか知らないだけかもしれませんが・・・

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さて、私が館長の年齢まで生きるのにはまだ30年ありますが、とてもそんな長く生きれる自信はとてもありません(笑)

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2025年2月18日 (火)

地元のホテルに慰安に行く

枚方市駅にカンデオホテルズ大阪枚方という大きなホテルができました。

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仕事も一段落して、ちょうど時間も空いたので、日ごろの疲れを癒そうと、2月16日・17日、嫁さんと二人で泊まりに行きました。
駅直結の高層ホテルで、最上階には展望風呂があるそうです。
車でも行けますが、今回はバスと電車を使っていきましたが、それでも1時間足らずで着きました。
枚方市駅周辺にも行くことはありますが、目的があってほんの数時間しかいないことが多く、今回は新しくできた枚方モールやTサイトやビオルネなんかもぶらぶらしました。
ABCクラフトはビオルネの5階に移動してたんですね!
さてホテルはツインルームを予約、23階で眺めも良いです!
しょせん地元の枚方の眺望と、たいして期待してませんでしたが、むしろ知ってる土地なので、あそこはアレ、こちらはソレみたいに見どころも多いのは意外な発見でした。

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また足元には駅に出入りする電車が、まるで鉄道模型のジオラマのようで、時間を忘れて見入ってしまいました。

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最上階の露天風呂の温度は熱かったですが、眺めは良かったです。

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(旅行会社の画像から)


枚方大橋の向こうに沈む夕日。

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夕飯はモールのおでん屋で。(嫁さんがリサーチしたことろは軒並み休みかつぶれてました)

夜景も、100万ドルとはいきませんが、1500ドルぐらいの値打ちはありました。

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ついでに部屋についている丸見えのバスルームでも入浴。(久しぶりのサービスカット)

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せっかくの慰安旅行でしたが、私が途中で発熱してしまい、あまり夜遊びは出来ませんでしたが、すぐ帰宅できたのも近場の良いところでした。
まあ、嫁さんが嫌がらんかったら年に1度ぐらいは泊まりに行きたいです。

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むかしちょっと住んだくずはタワーも見えるぞ

最後にひとこと。ホテルの入り口分かりにくい!

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2025年2月 9日 (日)

新作ガンダムと友人の死

相変わらず仕事が無く2月もうだうだ過ごしています。
さてツイッター(X)を見ていると、映画「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」の評判が良い。

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しかも私のようなファーストガンダム世代のおっさんたちが「早く見るべき!」みたいなツイートが多い。
ガンダムなんてそれこそファーストしかまともに見たことなく、その後のZも水星の魔女もさっぱりでしたが、ヒマなんでちょっと見にいきことにしました。
ああ!なるほど!(ファーストの)親父(たち)が夢中になるわけだ!と納得した次第です。

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この映画自体は4月のテレビで放映される一足先の映画館上映で、若い頃ならどうせテレビにやるからそれ見りゃええわ。と思ったとでしょう。
でもこの歳になると3か月後に生きてるとも限らない。見たいものはいま見ときましょう。ということです。

そんなことを思っていた昨日、地元の幼稚園時代からの友達の死を知りました。
結婚前まではよく遊んでいたし、おたがい所帯を持ってからも年に何回か飲みに行ってました。
昨年の同窓会に来ず、年末・年始の飲み会にも顔を出さなかったので、ちょっと気にはしていましたが・・・
今日お通夜に行ってきてましたが、さすがにショックでした。

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63歳か・・・
自分もふくめ、なんとなく70歳ぐらいまでは元気でいられるかなって思っていますが、そんなことわかりませんね。

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2025年1月26日 (日)

2025年 令和7年も1月末ですね

めちゃめちゃ遅まきながら新年おめでとうございます。
令和7年になってからもうほぼ一ヶ月経ってしまいました。
昨年から特に変わりはなく、仕事もなく、のんびり過ごしていますが、いつものように備忘録として書いておきます。

1月2日は二男夫婦が工房に来て、カニ鍋で食事。

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3日は散歩がてら嫁さんと円福寺の大根干しを見にいきました。

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12日はオーストラリア在住の姪が帰国していて、結婚相手のお披露目の食事会でした。

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21日は森岡青年が久しぶりに遊びに来てくれました。

23日は定期的な用事で京都東山に。少し時間があったので、三年坂あたりを散策。

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25日は地元の新年の飲み会。

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相変わらずサワイ君は面白い。

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さて私には関係ありませんが、元スマップのN居くん引退したり、フジテレビの激震やトランプが大統領になってやりたい放題など、いろいろありますね。
今年はどんな年になるのやら?

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2024年12月29日 (日)

2024年は変な1年でした。

今年も残すところあと3日になりました。
正月早々能登で大地震があったり、夏は連日の体温越えの猛暑で11月中旬まで気温が20度で秋をすっとばして急に冬になったり、石破が新総理なったり、トランプが再選したり変な1年でした。
私の1年は、昨年の福井への北陸新幹線延長による駅前開発にかかわる模型の作成特需は終わり、落ち着いた(仕事の無い)1年でした。
コロナもなんとなく収まった感じで、春先に福島、千葉でイベントがありましたが、その後は無く、模型制作もF社の原型を制作したくらいで、あとは毎年のワークショップぐらいでした。
つまりかなり仕事は激減した1年でした。
しかしその割にはなぜかマスコミ取り上げられることが多くて、地域の広報や新聞、テレビ(となりの人間国宝さん)などいろいろ出ることが多かった1年でした。
ま、強がりで言うわけではありませんが、2年後の65歳になって年金がもらえるようになったら仕事を廃業する予定なので、仕事が徐々に無くなっていく(無くしていく)のは想定内です。(気が弱いので来た仕事を断るよりも無くなるほうが楽)
依頼仕事が無くなったぶん、ヒマになった時間で好きな造形物を作ってましたが、10月ぐらいから前から作りたかった始祖鳥の額装モデルを作り始め、ハンズ名古屋店で販売を始めました。これが月一でも出ればありがたいですが。
さて、仕事以外だと家庭内の事情で春先から夏にかけて嫁さんが一時的に工房に避難してきましたが、結局夏ぐらいから現在まで工房で生活している状態です。(嫁はたまに自宅に帰って用事を済ましていますが)
変な生活が続いているので、自治会の集まりなどの地域活動に参加できていないので、近所では変な目で見られているでしょうね。

模型の仕事が減ったら前からやろうと思っているのは、始祖鳥のようにオリジナルモデルを作って通販したいこと、いままで集めたコレクションを処分すること、春画人形を解説した本を自費出版したいことなどがあります。
それと同時に恐竜模型の活用(売却、寄付、仕事引継ぎ等々)も行わないといけないと思っています。
ま~頭と身体がしっかりしているのはあと10年ぐらいでしょうから、早く始めないといけませんね。
でも最近の有名人の急死を見ているとウカウカできません(笑)

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2024年12月23日 (月)

荒木恐竜工房オリジナルモデル第3弾 「始祖鳥」額装を販売します。

荒木恐竜工房オリジナルモデル第二弾の「羽毛ディノニクス完成品」を販売開始してから4年経ちましたが、今回第三弾「始祖鳥」額装を販売開始しました。

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有名なベルリン標本の始祖鳥化石を立体化して額装しています。

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約1/2スケール 額の大きさ 約225×275×45㎜(証明書付)

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ゾルンフォーフェンの頁岩産状をイメージしたベースに頭部も翼も肢も立体的に表現しました。

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始祖鳥の色も恐竜同様分かっていません。先達が表現した彩色や和風な彩色など、色んな可能性の始祖鳥を作ってみようと思っています。
もちろん、全て私がひとつひとつ彩色しています。始祖鳥の色も背景の形状もすべて違う、世界にひとつだけの作品です。

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作品写真にエンボススタンプが施した証明書付き。

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2024年12月23日よりハンズ名古屋 10階 地球研究室で販売開始です。(木製ケースの色は変わる場合があります)

チラシより

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私が子供の頃から、始祖鳥は爬虫類の鳥への進化過程のまさにミッシングリング的な存在で教科書にも紹介されていた古生物です。
現在では初期の恐竜類から進化した原鳥類のひとつだと考えられています。
私も子供頃から大好きな始祖鳥ですが、これまで何度か立体化しています。

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始祖鳥と言えばズデネック・ブリアンの復元画が有名ですが、もちろんチャールズ・ナイトの絵も有名です。

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私が最初に始祖鳥を作ったのは、模型雑誌「ホビージャパン」1984年4月号の恐竜特集のときに、オルニトレステスに捕獲される始祖鳥です。

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これは明らかにナイトの絵に触発されて作ったものですが、メインではなかったので、粘土と紙と針金で作ったオマケ程度の作品でした。

その後、絵本で見た翼を閉じた始祖鳥をモチーフに月刊モデルグラフィックス誌の連載の作例に1998年に作りました。

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初めて本格的に作ったのは、1999年の佐賀県立宇宙科学館の展示モデルで真鍋真先生の監修で作りました。

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その後、2017年に(株)フェバリットのソフトモデルで始祖鳥を作る機会があり、いつか始祖鳥のオリジナルモデルを作ってみたいと思っていました。

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さてこれまで作ってきたモデルはフェバリットのモデルのような、始祖鳥の復元模型的なアプローチがメインでしたが、有名な始祖鳥化石のベルリン標本に肉付けして、額装するのはどうか?と常々思っていました。

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しかし、どうしてもレリーフ的なのっぺりした作品になりそうで自分的はイマイチなイメージでした。
そのとき目にしたのが海洋堂の松村しのぶ氏の始祖鳥でした。

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「ああ!この表現方法があった!」と。さすが天才!
さっそく宮脇センムさんと松村しのぶさんに連絡を取り、造形の快諾をいただきました。
今回の作品は私なりの解釈、オリジナルの造形ですが、ヒントを与えていただきありがとうございます!
オリジナルモデル第一弾の「額装シーランス」もそうですが、壁面に飾れる作品が私は個人的に好きなので、今回の作品はとても気に入ってます。
恐竜もそうですが、始祖鳥もどんな色だったのか永遠の謎です。文字通り色んな色で始祖鳥を塗って、皆さんにお届けする予定ですので、よろしくお願いします。

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