« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »

2006年3月28日 (火)

マツシタソンジュク

子供が春休みに入ったので、26日~28日、2泊3日で家族旅行に行きました。子供が原爆ドームを見たいと言うので、目的地を広島に決め、朝4時時出発。せっかく広島に行くなら、「大和ミュージアム」で1/10スケール大和の模型を見に行くことにしました。やっぱりデカイ!それにしてもスゴイ観客でびっくりしました。
広島の平和資料館では、原爆ドームの模型をゲット!1日目は広島駅前のホテルに宿泊。
次の日は厳島神社を見たあと、山口県の秋芳洞の大鍾乳洞を見に行きました。ここは私が子供の頃、近眼のくせに眼鏡をかけてなくて、ちゃんと見ることができなかったので、今回はしっかり見ようと行きました。やっぱデカイ!
その後、萩に入って、幕末の志士たちの生家などを散策。その日は「萩本陣」に宿泊。モノレールで行く露天風呂に入りましたが、恐竜公園は見損ねた!
今日は、昨日見なかった、吉田松陰の記念館、松下村塾跡を見てから帰路につきました。車で往復1200キロの旅でした。あ~しんど。
ちなみに、「松下村塾」をずっと「マツシタソンジュク」と言ってた私たちは笑われモン。

1_1

2(このブログは「恐竜模型の世界」の一部です)

| | コメント (2)

2006年3月21日 (火)

気持ちの良い線

私はある時まで、絵を描く時に、ある引っ掛かりがあった。
小学生の図画の時間で写生だったと思うが、その時先生に「1本の線で強く輪郭を描きなさい」みたいな事を言われた。これが結構トラウマになってしまった。
私は小さい時からマンガや絵を描く時、結構何本も線を描き、線を探っている方だったので、この先生の一言は何か自分のやり方は間違っていて、「一気に迷い無く線を引くのが良いのじゃ!」と言う教え(?)が結構いつまでも(大人になってからも)頭の片隅に残っていた。

ところが、何年か前、確か映画「もののけ姫」の頃だったと思うが、特番の中で宮崎駿監督が絵コンテを描く場面で、何本もの輪郭線を描きながら「こうやって描いていると、一番気持ちの良い線が見えてくるんですよ(確かこんな意味のこと)」と言っておられるのを聞き、まさに目からウロコが落ちると言うか、トンネルから抜け出したと言うか、のどに刺さってた小骨が取れたような気がした。
私も絵を描く時や、粘土で恐竜のシワを付ける時、脚や首の角度なども、「うん!これや!」と思う気持ちの良い線がある。私が無数に線を描くのも、この線を探す作業だったと思い至った時は本当に気持ちがスーっとした。宮崎先生ありがとうございます。

小学校の先生も、悪気で言ったのではないでしょうから、他人にアドバイスするのは難しいですね。(そんなオチかい!)

で、秘かに自慢の宮崎先生とのツーショット
http://homepage3.nifty.com/dinomodel/job/miyazaki.htm

(このブログは「恐竜模型の世界」の一部です)

| | コメント (5)

2006年3月20日 (月)

「かまへんがな」

最初に断っておきますが、私は大阪人です。
少し前に、外国の日本旅行用のガイド本に、「大阪は暴力の街」とか「ヤクザの街」と紹介されていることに、大阪市が是正を求め抗議するとかしないとか話題になりました。
で、当の大阪の人間がモーレツに怒ったかと言うと、「当たってるやん」「その通りやん」
日本一違法駐車が多い街なので、駐車マナーを守ろうと言うCMで「みんな停めてるやん!何が悪いんの」
お金にシビアな大阪人が、お手盛りの手当てが多すぎる大阪市の役人に怒り心頭かと思えば、誰もたいして文句を言わない。「ま~かまへんがな。昔からそうやねんし」
まだ赤信号なのに横断歩道を渡りだす。「クルマ来てへんから、かまへんやん」

そう、大阪の人は「ま~そんな固いこと言わんでも、かまへんがな」
全てこの精神で生活していると思って間違いないと思います(ほぼ断言)。
真面目な県民性の他府県(特に岩手あたり)の方が「大阪の人って、嫌い」って言うのは良くわかる。本当に、おそらくルールを破ることに対する閾値の低さは日本一でしょう。「こんなことまでせんでも、かまへんやん」
ですから結婚当初、よく嫁(福井県)に怒られました。
それは造型に関しても同じで(これはあくまで私のことですが)、他人の作品を見たとき「何で、ここまで作るん?こんなぐらいでもかまへんやん」とよく思います(笑)

(このブログは「恐竜模型の世界」の一部です)

| | コメント (3)

2006年3月19日 (日)

徳川さんの個展 行ってきました

今日、徳川さんの作品展に行ってきました。小雪が舞い散る寒い日でしたが、京都駅は人でいっぱい。SHINZENさんと待ち合わせて、京都駅前の地下街ポルタに向かいました。
地下街の広い通路に設えられた展示場内はその立地の良さから、カップルや家族連れなどたくさんの人が見に来られています。子供たちは恐竜をバックに写真を撮ったりと、大変な賑わいでした。徳川さん自身による作品の制作過程などの説明にもみなさん熱心に聞き入っていました。こんな素敵な立地で作品ができるなんて、本当にうらやましいですね。
偶然にも知り合いなどにも会えて、とても楽しいひと時でした。みなさんも4月2日まで開催中ですので、是非見に行ってください。(無料)
その後SHINZENさんと一緒にメシを食べながら、どうやって徳川さんを蹴落とせるか相談しました。
おしマイケル。

toku2 toku3

toku1

(このブログは「恐竜模型の世界」の一部です)

| | コメント (7)

2006年3月18日 (土)

徳川さんの個展

恐竜造型家、徳川広和さんの作品展が本日より京都駅で開催されています。
http://www2.neweb.ne.jp/wc/A-fragi/whatsnew/060222_sakuhinten.htm
私も明日昼ごろ、見に行こうと思っています。
写真撮って、また報告します。

徳川氏のHP「恐竜模型展示室」
http://www2.neweb.ne.jp/wc/A-fragi/

060222_sakuhinten

(このブログは「恐竜模型の世界」の一部です)

| | コメント (1)

2006年3月14日 (火)

あなたは、大阪万博を憶えてますか?

私にとって大阪万博は、わたしの人生における、ひとつの大イベント、節目のひとつです。当時私は小学3年生、前年には、アポロ11号が月面に初着陸し、人類が偉大なる一歩を踏み出し、未来はまさに宇宙時代、人類が未来のハイテク時代に突入していく様を、目の当たり見せてくれる大イベント、それが大阪万博でした。それ以来、○○博と言うのには、つい気を取られ、幾度騙されたか分かりません、「天王寺博」しかり、「夢工場」しかり…。どれも大阪万博を凌駕するものは、未だ現れません。

おそらく昭和40年以前生まれの人々には、共感してもらえるところが多々あると思えるのですが、一種大阪万博は、それ以降の博覧会の基準になっていませんか?つまり大阪万博よりおもしろいか?おもしろくないか?。わたしは、これまで大阪万博より面白いイベントと言うものを知りません。これは恐竜の展示があったか、無いかとかそんな次元ではなく、私のトラウマみたいなモノで、もう一度、大阪万博に行けるならどんな犠牲もいとわない思います(ってほどでもないか)。
もう時効なので、話してもいいと思いますが、実は私が高校時代(1977年頃)大阪万博の跡地の公園に自転車で野宿に行った事がありました。大阪の寝屋川市から、吹田市までですから、結構、自転車ヤローだったんですね、わたし。当時すでに有料の公園になっており、公園内に自転車で乗り入れることも、禁止だったと記憶してます。ですから、確か園内の休憩所の裏に自転車を隠し、夜半まで、警備員に見つからないように公園のベンチで過ごしました。さて夜も更けてくると、辺りでは、野犬の鳴く声が聞こえ、「このままでは、オレは食い殺されるかも知れない…」っと言った妄想をいだきつつ、真夜中まで待っていました。
いよいよ探検の開始です。探検の目標は万博のシンボル、太陽の塔です。公園から地階になっている通路を懐中電灯で照らしながら恐る恐る歩いていると、ふと人影が!よく照らして見て見ると、人型のオブジェでした。
気を取り直して、階上に上がると、ちょうどシンボルゾーンの端にでました。
まだそのころは「太陽の塔」に「屋根」がありました。屋根を支えている柱の階段には有刺鉄線がはりめぐらされていましたが、何とか屋根に登ることが出来ました。その屋根から「太陽の塔」の翼の先のハッチから何と内部に侵入することが出来たのです。真夜中のことです。真っ暗な闇の中、長い間停止したままのエスカレーターの階段を下りながら、小さな懐中電灯の灯かりの先で見たものは、まさに、朽ち果てた「生命の木」でした。そうです!「生命の木」が存在していたのです。その「生命の木」には、頭の半分欠け、機械が剥き出た猿人や、壊れた恐竜など、数々のオブジェが廃棄されたまま残されているのが、懐中電灯の光の先にはっきり見えました。それは確かに当時、多くの観客たちを魅了した展示物でした。まさしく見覚えのあるものばかりでした。しかし、真夜中のこと、いつ切れるか分からない懐中電灯で照らし出された、真っ暗なエスカレーターの先に点々と横たわる「鳩」の骸を見つけた時は、それだけで、もう急に恐ろしくなり、とてもエスカレーターを地下まで降りる勇気はありませんでした。しかし、今考えれば大変なお宝に(持って帰ってれば盗品ですが…)巡り会えたと思うと残念です。その時の写真が偶然出てきたので載せます(またかい!夏休みだったのか、無精ひげが・・・)
PS:逃げ帰る前、地下に散乱していたのは、アンモナイトのかけらだったと記憶しています。昨年より、この太陽の塔の内部を一般公開する動きがあるようです。近いうちにまたあのオブジェたちに再会できる日が来るかも知れません。

expo1m expo2m

(このブログは「恐竜模型の世界」の一部です)

| | コメント (4)

2006年3月13日 (月)

鉄道模型のこと

私が鉄道模型に興味を持ったのは、中学生の頃だ。実は2冊の本を偶然見つけたためだ。その本とは機芸出版の「レイアウトテクニック」と「レイアウトモデリング」である。
この本には鉄道模型の車両ではなく、レイアウトの作り方を表したものだが、そのテクニックの数々は、まるで砂に水が浸み込むように、私の頭に強く刻まれた。
バルサや紙を使って民家を作ったり、真鍮線と半田ごてで自転車や火の見やぐらを作ったり、板金の手法でボンネットバスを作ったり、ミシンを使って稲刈り後の田園を作ったり、天草で木々を表現したり、それはそれはあらゆる素材を、千変の目くるめく手法の数々を見せられた時は、目の前の大きな扉が開いたようだった。
結局、鉄道模型は、非常に金のかかる趣味なので、まともな車両を1台も買えないままでしたが、真鍮板を糸鋸で切ったり、バルサを削ったり、半田付けしたりといった、プラモデルとは意趣な工作が出来たことは、後々すごく役立ったと思う。

DSC01044 DSC01043(このブログは「恐竜模型の世界」の一部です)

| | コメント (0)

2006年3月12日 (日)

そしてスターウォーズ その1

スターウォーズである。この映画ほど私の人生に影響を与えたものはない。
深夜の「宇宙大作戦(スタートレック)」などを見ていたり、バロウズの「火星シリーズ」やヴォクトなど古典SFを読み漁っていた私は、まともにその洗礼を受けてしまう。
いやSFだけではなく、鉄道模型のレイアウトやバンダイ48シリーズのAFVのジオラマなどに凝っていた頃なので、スターウォーズの宇宙船の模型などにも並々ならぬ影響を受けてしまう。
それだけではない。ハン・ソロ船長のカッコ良さに、それまで、7・3分けだった髪型をセンター分けにし、黒の皮チョッキを買い込み、ガンベルトを締めて街を歩くと言う、今なら即逮捕されてしまうような暴挙に私を向かわせてしまった・・・(17歳当時)。17

(このブログは「恐竜模型の世界」の一部です)

| | コメント (5)

高校生の頃の作品 その3

そしてこれが、高校生1年生の時の最後の作品であるケラトサウルスです。
確かB・クルテンの著書「恐竜の時代」の中の骨格写真を参考にし、骨格図から考えて作った最初の模型でした。(それまでは図鑑の挿絵などを基に作っていました)
やはり芯は木製でブロンズ粘土で作っています。表面のウロコは、当時もうひとつの趣味だった鉄道模型で作ったモーターツール(車両モーターにピンバイスを取り付け、径0.5mmのドリルの刃を取り付け、制御板で回転数を調節すると言う、トンデモナイ物。当時大阪、旭屋書店5階のマッハ模型に売っていた)で彫り込んでいた。
この径0.5mmのドリルの刃がよく折れるんだ!これが。折れると、0.8とか1mmで代用するので、ウロコの溝幅が微妙に違ったりしたんですね~。(今みたいに百均の無い時代ですからドリルの刃も高かった)

実は、このケラトサウルスは結局ウロコ模様を途中のまま、しばらく制作を休んでしまいます。この頃から、「スターウォーズ」が徐々に私を侵食し始め、興味のほとんどが「スターウォーズ」に急速に移行していくことになります。

このケラトサウルスが再び日の目を見るのは、それから数年経ってからです。
1983年、当時ガレージキットの黎明期真っ只中にあった海洋堂に、この模型を持って行き、海洋堂の原型師になるきっかけを掴みます。その際、彫り残しのウロコは完成させ、足を改良し、海洋堂恐竜原型の第1号になりました。その時もらった原型代は5万円。今では考えられない値段ですが、当時、ものすごく嬉しかったことを思い出します。
それは、また別の機会に書きたいと思います。

(このケラトサウルスの画像を探しましたが、なかなか見つからないため、ホビージャパン誌1984年4月号掲載の画像を使用しました。問題ある場合はお知らせ下さい。)

cert1(このブログは「恐竜模型の世界」の一部です)

| | コメント (4)

2006年3月10日 (金)

もうすぐ45歳

もう「チャングムの誓い」か・・・1週間経つのが、恐ろしく早いな~。
子供の頃の1週間は反対に恐ろしいくらい長かったのに。先日テレビで、この感覚の違いは人生の長さにおける割合の違い(つまり、10歳の1年間は、人生の1/10の長さだが、40歳だと1/40、つまり、4分の1の感覚)、だと説明していたが、全然違うと思うな。
これは、きっと密度の違いだ。
子供の頃は、見るもの聞くもの全て新鮮で、その全てが新しい経験として記憶されるが、今は「チャングムの誓い」みたいなドラマぐらいしか新しい記憶として残らないくらい、無感動な粗雑な生活を送っているからだろう。
実は8年前、初めてパソコンを買って、ホームページを作った時、まさに子供の頃のような体験をした。全くの独学で本を読みながらパソコンをいじって、四苦八苦していた経験は今でも昨日の様に思い出せ、しかも充実していた。やはり、大人になっても、新鮮な体験、記憶は確実に刻まれるのだ。
このまま職場と家の往復と言うような無為な人生を送ってよいものだろうか。不惑の歳になりながら迷ってばかりである・・・。

(このブログは「恐竜模型の世界」の一部です)

| | コメント (4)

2006年3月 7日 (火)

ふ~疲れた

きのうから腰が痛い。
今日は有休だったが、某社が撮影のため模型を取りに来るため、仕事部屋に行く。
山積みのダンボール箱から、お目当ての作品を探すのは一苦労だ。
子供の頃から整理整頓が苦手なため、こう言う時に大変だ。
お客が帰った後、20個ほどのダンボールが無くなったので、いい機会と思い、買っておいた湿気取りマットをスノコの下に敷き、残りのダンボールを整理したのだが、ヘロヘロになってしまった。
なんかこう、効率よく整理する方法ってないかね?

sagyoubeya3(このブログは「恐竜模型の世界」の一部です)

| | コメント (4)

2006年3月 6日 (月)

離婚して無一文になったら

そのまんま東さんが離婚した。頭皮に親近感があったので、少々ショックだった。

昨日、下の子供と近くの銭湯に行った。スーパー銭湯と言われるやつで、たった390円で露天風呂もサウナもある、なかなかの設備である。日曜日なので、とても賑わっていた。
風呂上りに館内の大広間で子供と一緒にフラッペを食べて帰った。

と、この時、先の離婚のことを思い出し、夢想した。もし、私が離婚して、慰謝料やら何やらで無一文で放り出されたら、こんな生活も出来るのではないか?

この銭湯の設備では、館内に入り、大広間や食堂はそのまま利用でき、料金が発生するのは番台を通って風呂に入る時である。(もちろん食堂でメシを頼んだらお金はいるが)
さて、離婚して自由の身になったら、まず夜勤の仕事を見つける。夜警や弁当作りなど色々あると思うが、まず、夜10時~朝10時ぐらいの仕事につき、この銭湯に帰ってくる。銭湯には大広間があるので、そこでごろ寝するも良し、熟睡するも良し、タダで使うのがイヤなら、風呂に入っても良し。一ヶ月390円×30日でも11700円にしかならない。これで、風呂に入れて(お湯使い放題)、冷暖房付の畳部屋でテレビ見放題で出入り自由なんて、下手にアパート借りるより絶対にいい。そして、夜、腹ごしらえしたら、夜勤の仕事に銭湯から出かけるのだ。(ちなみにこの銭湯の営業時間は午前10時~翌深夜2時)

どうだ!まいったか!   あ!模型、作る場所が無い!

(このブログは「恐竜模型の世界」の一部です)

| | コメント (2)

ハピネットの恐竜ソフビ

ハピネットの恐竜ソフビ「大恐竜時代」の商品紹介ページが更新されてました。
http://www.happinetjp.com/original/daikyoryujidai/soft.html
私の原型製作を担当はサイカニア・スティラコサウルス・アロサウルス・ケラトサウルス・アマルガサウルスです。
他にフタバスズキリュウやランベオサウルスなど、ラインナップがいかにも「なるほど」と言う感じですね(笑)

ソフビですので、ガシガシ遊んで下さいね。
もうすぐ発売予定です。

soft_cerato_01(このブログは「恐竜模型の世界」の一部です)

| | コメント (2)

2006年3月 1日 (水)

やっと入手!

新しい映画「KINGKONG」良かったですね~。
映画観てから、関連グッズを探していたのですが、ことごとく売り切れ・・・。と言うか、タカラが輸入代理しているはずなのにどこにも見たことが無い。
以前、海洋堂に行った時に、専務がV-REXのこのトイを嬉しそうに塗り変えているのを見て、ずっと欲しかったのですが、やっとヤフオクで手に入りました。
よく出来てるんですよ、これ。スタイルと言い、悪賢そうな顔と言い、尻尾の先ってこんな風だったんですね。早くDVD出ないかな。
おそらく在庫一掃セールみたいな売り方だったので、これからどんどん出てくるかも。猿はいらんけど。

kong1 kong2(このブログは「恐竜模型の世界」の一部です)

| | コメント (6)

« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »