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2006年3月14日 (火)

あなたは、大阪万博を憶えてますか?

私にとって大阪万博は、わたしの人生における、ひとつの大イベント、節目のひとつです。当時私は小学3年生、前年には、アポロ11号が月面に初着陸し、人類が偉大なる一歩を踏み出し、未来はまさに宇宙時代、人類が未来のハイテク時代に突入していく様を、目の当たり見せてくれる大イベント、それが大阪万博でした。それ以来、○○博と言うのには、つい気を取られ、幾度騙されたか分かりません、「天王寺博」しかり、「夢工場」しかり…。どれも大阪万博を凌駕するものは、未だ現れません。

おそらく昭和40年以前生まれの人々には、共感してもらえるところが多々あると思えるのですが、一種大阪万博は、それ以降の博覧会の基準になっていませんか?つまり大阪万博よりおもしろいか?おもしろくないか?。わたしは、これまで大阪万博より面白いイベントと言うものを知りません。これは恐竜の展示があったか、無いかとかそんな次元ではなく、私のトラウマみたいなモノで、もう一度、大阪万博に行けるならどんな犠牲もいとわない思います(ってほどでもないか)。
もう時効なので、話してもいいと思いますが、実は私が高校時代(1977年頃)大阪万博の跡地の公園に自転車で野宿に行った事がありました。大阪の寝屋川市から、吹田市までですから、結構、自転車ヤローだったんですね、わたし。当時すでに有料の公園になっており、公園内に自転車で乗り入れることも、禁止だったと記憶してます。ですから、確か園内の休憩所の裏に自転車を隠し、夜半まで、警備員に見つからないように公園のベンチで過ごしました。さて夜も更けてくると、辺りでは、野犬の鳴く声が聞こえ、「このままでは、オレは食い殺されるかも知れない…」っと言った妄想をいだきつつ、真夜中まで待っていました。
いよいよ探検の開始です。探検の目標は万博のシンボル、太陽の塔です。公園から地階になっている通路を懐中電灯で照らしながら恐る恐る歩いていると、ふと人影が!よく照らして見て見ると、人型のオブジェでした。
気を取り直して、階上に上がると、ちょうどシンボルゾーンの端にでました。
まだそのころは「太陽の塔」に「屋根」がありました。屋根を支えている柱の階段には有刺鉄線がはりめぐらされていましたが、何とか屋根に登ることが出来ました。その屋根から「太陽の塔」の翼の先のハッチから何と内部に侵入することが出来たのです。真夜中のことです。真っ暗な闇の中、長い間停止したままのエスカレーターの階段を下りながら、小さな懐中電灯の灯かりの先で見たものは、まさに、朽ち果てた「生命の木」でした。そうです!「生命の木」が存在していたのです。その「生命の木」には、頭の半分欠け、機械が剥き出た猿人や、壊れた恐竜など、数々のオブジェが廃棄されたまま残されているのが、懐中電灯の光の先にはっきり見えました。それは確かに当時、多くの観客たちを魅了した展示物でした。まさしく見覚えのあるものばかりでした。しかし、真夜中のこと、いつ切れるか分からない懐中電灯で照らし出された、真っ暗なエスカレーターの先に点々と横たわる「鳩」の骸を見つけた時は、それだけで、もう急に恐ろしくなり、とてもエスカレーターを地下まで降りる勇気はありませんでした。しかし、今考えれば大変なお宝に(持って帰ってれば盗品ですが…)巡り会えたと思うと残念です。その時の写真が偶然出てきたので載せます(またかい!夏休みだったのか、無精ひげが・・・)
PS:逃げ帰る前、地下に散乱していたのは、アンモナイトのかけらだったと記憶しています。昨年より、この太陽の塔の内部を一般公開する動きがあるようです。近いうちにまたあのオブジェたちに再会できる日が来るかも知れません。

expo1m expo2m

(このブログは「恐竜模型の世界」の一部です)

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コメント

「20世紀少年」ばりのお話に、つい書きこみを。
私は当時17歳。友人の親戚宅に泊めてもらっての万博でした。その時の友人の恰好が荒木さんそっくりで、特にテンガロンハット!流行っていたのだったか・・・思い出せません。それが理由なんてことはないでしょうが、今は埼玉に住むその友人も若くして?髪が薄くなりました。
太陽の塔の「白い顔」を背景にしたその写真も、全体に淡くなっています。

投稿: KIRICKLAND | 2006年3月15日 (水) 13時07分

KIRICKLANDさん、コメントありがとうございます。ファッションに関しては10年ほどのタイムラグはあるものの、カウボーイハット、よくかぶっていたような気がします。プラス バミューダパンツ。
万博開催当時、17歳ぐらいだったら、もっとしっかり見たでしょうね。私はスタンプ押しに走り回っていました。

投稿: カズやん | 2006年3月15日 (水) 20時21分

 大阪万博、観られなかったんですよねぇ・・・。連れて行ってもらったとしても記憶に残る年齢ではなかったんですがw。
 昨夏は地元ということもあり地球博に行きました。一度は仕事で、もう一度はもらった券を使いカミさんと。なんのかんのいって楽しく帰ってきました。ただし各国のパビリオンはほとんど土産物物産センター化していてガッカリでしたが。
 荒木さんが仰るように、その後のあらゆる“博”は噂に聞く大阪のスケールに適わないと思います。これに限らず、68年生まれの私はビートルズも志ん生もチャーリーパーカーも観られず終いです。残念だけれど仕方ないですね。
 代わりといってはなんですが、長嶋も王もストーンズも間に合ったんですから子供や学生には誇ろうと思っています(笑)。

投稿: 山本勘助 | 2006年3月15日 (水) 23時11分

そうですよね。後世に語り継がれるものと同じ時代を生きたと言うのは、単にラッキーだったかも知れませんが、誇ってもよいことだと思いますね。その時、何があったかなどは本や、テレビでも知ることができるでしょうが、その時代の空気感や臭いは、その時を生きた人にしかわからないことでしょうからね。
とにかく私はあの万博のパビリオンの造型が大好きです。オーストラリア館やスイス館、ソ連館、どれを見ても、唯一無二、二度と見ることのできないような建造物の宝庫でした。ブリテッシュコロンビア州館の丸太で構成されたパビリオンの下に立ったとき、その巨木が倒れかかってくるような感じは、今でも忘れられません。

投稿: カズやん | 2006年3月16日 (木) 22時53分

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