海洋堂の館長 亡くなる
海洋堂の館長 宮脇修氏が2月16日に亡くなられた。96歳。大往生と言っても良いでしょう。お疲れ様でした。
私が海洋堂に原型師としてよく出入りしていたのは1983年~1980年代の終わりぐらいまでで、その後は勤めていた病院の仕事や他の会社などの模型の仕事もするようになり、ひんぱんに行くことはなくなりましたが、原型仕事が無くてもたまに遊びに行くようなの関係でした。
海洋堂に入り浸ってた私が22歳ぐらいから数年間は私の人生のなかでも特に濃い期間で、センムさんや同い年ぐらいの原型師との交流と共に、館長の存在は大きかった。
なんて言うか、親でもない、親戚のおっちゃんでもない、仕事の上司でもない、唯一無二の「大人」みたいな。
出来た原型を持って行くと、時々「館長室」に呼ばれ、これからの模型の将来像や理想などを小一時間とうとうと話させるのを聞いていました。(聞かされた?w)
その後、私が飲んだことないような高い?お酒をご褒美にいただくこともありました。
館長室には川本喜八郎の人形や陶器製のシーラカンスの置物など高価なものが置いてあり、それを見るのも楽しみのひとつでした。
告別式で息子の宮脇修一センムさんの挨拶で、「みなさんは父が主人公のいろんな物語や童話のなかの登場人物(意訳)」と話されていた。
おそらく私が知っている館長は数多ある館長像のひとつで、参列していたみなさんそれぞれぞ出会って巻き込まれた時の館長像があり、館長の物語の登場人物なんだろう。
私はどこかの物語の登場していましたか?館長?
でもね、海洋堂が大きくなったのはもちろん館長のカリスマ性や行動力あってのことだと思いますが、それを実現できたのは息子のセンムさんの存在無しでは成しえなかったと思います。
私らのようなわけの分からん社会不適合者の若者を束ねられたのは口の悪いが歳の近い人情味のあるセンムさんがいたからだと思いますよホント。
まあ、良くも悪くも私は外様だったので、海洋堂の良いところしか知らないだけかもしれませんが・・・
さて、私が館長の年齢まで生きるのにはまだ30年ありますが、とてもそんな長く生きれる自信はとてもありません(笑)
(このブログは「恐竜模型の世界」の一部です)
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